過去の日記はここ

韓国日記(2002.02から2003.01)

* 友人のハルカがtDiaryを多言語対応に改造したプログラム「クソ日記」により作成。

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日々のこと

2002.03.21(木)      黄砂の中、観光

昼から、高校のときの友達がやってきた。タイに一週間いった後、航空券の都合で、韓国で一日足止めをくらったらしい。
とりあえずシンチョン(新村)でテジカルルビを食べた。

黄砂がひどくて、街を歩く人が普段よりも少ない。60年代に観測し始めてからの記録上、「微細風塵の濃度」が過去最悪をマークしていて、場所によっては横断歩道の前にとまっている車と歩行者の区分けがつかないらしい。

実際、霧もないのに遠くの景色がみえない。こんな日に焼肉を午後3時から食べようと考える人は他にはいないらしく、客は僕たちだけだった。暇そうな店の人がつきっきりで焼いてくれて、いつもよりもうまかった。店の人に、日本の友達をもっと連れて来てくれ、といわれた。

その後、テハンノ(大学路)に行こうと思って地下鉄に乗ったら、たまたま韓国人の友達会った。黄砂を防ぐためにマスクをしている。テハンノはやめとけ、と妙に力強くいって、なぜか譲らないので、ミョンドン(明洞)に行くことにした。そもそもどこでもかまわない。

ミョンドンをふらふらしてから、南大門市場へ。南大門も黄砂のせいか、いつもよりも開いている店が少ないような気がした。それでも暗くなってくると活気づいてきて、店の人々が怪しげな日本語で声をかけてくる。「おにいさんおねえさんのりたべるよたべる・・」「はいはいはいはい・・」とか。何がはいはい、やねん。いかがですか、というよりも、なんで買わないの、という感じで呼びこみしている。僕も怪しげな韓国語をしゃべるので、店の人と怪しげにトークする。どう考えてもふっかけた値段をいってくるので、安くさせなければならない。

そういえば、ミョンドンでたまたま、日本の大学のサークルの後輩とばったり会った。
何の連絡もとってなかったので、偶然も偶然、そういうこともあるんですな。なんとなく電話番号を教えといた。

南大門から、バスでテハンノまで行って、ふらふらしてからまた焼肉。ビニールのテントみたいなところで、今度はソカルビ(牛のカルビ)を頼んだが、まあうまかった。
せっかくなのでソジュを注文して飲みながら、友達と「先に結婚したら負けで、負けた方が寿司をおごる」という約束をしていたら、なりの席に座っていた社会人の人たちが声をかけてきた。サムギョプサルとかソジュをいっぱいくれるので、満腹になってしまった。ありがとうございます。カンファムン(光化門)の近くにあるゲストハウスまで友達を送っていったあと、終電で家に帰ってきた。


2002.03.20(水)      相撲、異ジャム

実務日本語の授業に行ったら、先生に「じゃああなた、相撲について紹介してください」と言われた。そういえば前の授業のときに、今日相撲について発表することが決まってたのに、すっかり忘れていた。

というわけでアドリブで相撲について10分ほどしゃべりました(日本語で)。
しこの踏み方とか、上手投げと下手投げの違いとかを実演で説明したのがよかったらしく、なぜか4時からの「日本文化の理解」でも相撲について話をすることになった。2回目は上手投げのかわりにつっぱりとかを実演して、質問をうけたりして結局1時間15分くらいの授業中しゃべりっぱなしだった。

実務日本語はかなり日本語が上手な学生たちがいるが、日本文化の理解の学生はあまり日本語ができないらしい。日本に一年留学したことのあるハンさんという人が僕の通訳をしてくれた。はやく通訳なしで話せるようになりたい。

けっこうみんなさかんに質問してくる。韓国の相撲はシルムというが、シルムでは土俵の外に出ても負けではないらしい。これをとりあげて「日本の相撲で土俵の外に出たら負けてしまうのは、日本が島国で海の外に出たら弱いことと関係あるんじゃないのか」と言ってきたやつがいた。なるほど。韓国でシルムはあまり人気がないらしく、「あんたは相撲について詳しいみたいだけど、日本では相撲を専攻していたのか」って、そんなわけない。座布団が飛ぶのはブーイングか、というのもあったが、日本では感動したら座布団を飛ばすのだよ、と教えてあげた。

夕方、バイトすることになっている日本語教室の生徒のみなさんと、タッカルビを食べにいった。皆さん社会人で、ごちそうしてもらった。ありがとうございます。今日はバイトを紹介してもらったノッチさんの最終講義だった。ソウル大に交換留学してきている日本にいたときの研究室の先輩も授業風景を見にきていて、やはりソウル大の院は大変で宿題がたまっているらしい。僕も語学の授業が始まったらどうなるかわからない。日記書けるかな。

来週はノッチさんの送別会をするらしい。ノッチさんモテモテですな。授業が終わってから、他のクラスの生徒さんたちも一緒にシンチョンの近くの飲み屋さんにいった。昨日が僕の誕生日だったということで、持ちこんだケーキで誕生祝いをやってくれた。ろうそくに火がつくと、店の音楽が「おめでとう~おめでとう~」というやつに変わり、「立って踊れ」というので手を振りながら軽くおどっていたら「早くろうそくを吹き消せ」といわれた。なんなんだよもう。携帯のストラップをもらった。みなさんありがとうございます。

僕はノッチさんがやっている<ワンジョ>という上から3つめのクラスを受け持つ予定だった>が、もしかしたら<チョス>という初級のクラスを受け持つことになるかもしれない。<ワンジョ>は授業中日本語オンリーでかまわないが、<チョス>は韓国語を織り交ぜて授業しなければならない。なんでも、<チョス>を今度から受け持つはずだった人はあまり韓国語ができないらしく、僕がやった方がいいのではないか、という話になったそうだ。僕も韓国語はほとんどできないけど、自分の勉強にもなるだろうし、初級のクラスを一回見てみてから決めようと思う。

<チョス>の生徒さんで、僕よりひとつ年上の男の人と友達になった。あだ名は「イジャム」というらしく、よくよく聞いてみると日本の"ビジュアルロック"好きで、シャズナの「イザム」からあだ名がついているらしい。韓国の人には「ザ」という発音が難しく、「ジャ」になってしまう。イジャムの彼女も<チョス>の生徒さんでかなりかわいいけど、彼本人は巨人の松井にそっくりさんです。なんでもバンドでボーカルをやってい小説家でもあるらしい。たぶん聞き間違いだと思う。


2002.03.19(火)      刺身、スケート

誕生日。韓国では学期が3月から始まるので、もし僕が韓国の小学校とか中学校に普通に入学していたら、日本にいた時よりも一年だけ学年が繰り下がっていたことになる。

誕生日おめでとうメールを何人かの友達が送ってくれた。ありがとう。トクソンさんからもらったロッテーワールドのタダ券が今日までだったので、友達たちとスケートしに行ってきた。スベルまえに、チャムシルにある漁協で刺身を食べた。刺身一切れサイズになっているのを、適当に皿にとって、重さを計って料金を払うようになっている。ごはんやみそ汁、野菜も合わせて1人650円だった。同じ魚をグラム単位で注文することもできるらしい。

韓国の蛍光色わさび(効かん)や学食みたいなみそ汁は別にしても、なかなかうまい。チャムシルは別に港町でも何でもないのに、漁協があるのかわからないが、おっさんたちが酒を飲んで盛り上がっていた。1人刺身しているおじさんもいる。

おやじの背中を見るような気分。僕ら以外の若者は皆無。スケートはさすがに面白かった。ショートトラックが強いだけあってか、クラブか何かの子どもたちがユニフォームで練習している。小さい体が同じフォームで列になって滑っている様子は、氷の世界の虫みたいなかんじがする。真ん中でそういうクラブが練習していて、一般利用者はみんな同じ方向をぐるぐる回っている。時間帯が夜だったせいか、あまり年配の人の姿は見られない。日本では何年前にスケートしたか、もう忘れてしまったけど、やたらうまいじいちゃんが必ずいたような気がするが、こっちは日本よりも年齢層が低いような気がした。スケートとかしたわりに、一日あまり疲れなかった。


2002.03.18(月)      牛タンにモザイク

昼前にチュンホさんから電話がかかってきて、いっしょに昼食をとった。学校の食堂は安い。ふつうのランチセットで2000ウォン(200円くらい)、安いのは1500ウォン、高くて2500ウォン。これは韓国でも激安。問題は味の方で、ふつうの昼飯程度の量をふつうにここで食べていて、なぜか体調不良になってダウンしたことがある。彼とご飯を食べると必ず学食なので、今度は僕がおごるからお願いですから学校の外で食べましょう、という約束をした。

夕方、延大に交換留学で同じ大学から来ている友達が、日本へのプチ帰還から帰ってきて、荷物運びを手伝った。日本で就職活動をバリバリやっている友達と会ってきたらしく、現実的な話を聞かされた。僕は交換留学で3月までこっちにいるつもりなので、就職活動のスタートが遅くなってしまう。卒業したら奨学金はとまるので(むしろ返済しないといかん)働かないと暮らしていけないし、できれば就職したいと思っている。

まあ韓国でできることをこの1年でしっかりやっておきたいし、こっちでも情報集めはある程度できるから、就活に関してもこっちでやれることをやるしかない。でもそういえば12月までで留学を申請したような気が・・あれ?どないやねん

夜、テレビで日本、中国、韓国の名物紹介の番組をやっていた。韓国の女性リポーター2人(かわいい)が日本に行って牛タンの店とフグの店に入る。韓国では牛タンは食べないらしい。朝鮮民族は牛の肉を世界で一番細かく部位ごとに分ける、と聞いたことがあるが、牛タンを食べないのは意外だ。もっと意外だったのは、彼女らが調理場を見学しているとき、カメラの角度によって牛タンにモザイクがかかることで、どういう基準でモザイクをかけているのかがいまいちわからない。タン一本の原型は50cmくらいはあるが、それを持ち上げる瞬間とかにモザイクがかかるのに、刃を入れている最中はモザイクがかかったりかからなかったりで、刃をいれて切り分けた後の肉の、真っ赤な断面は完全無修正。「動きがある血」がアウトなんかいな。謎や。フグ屋では、フグチリに微妙に納得いかない顔をみせていた。やはり韓国人には日本の味は物足りんのだろうか。

中国は北京ダックがとりあげられていた。あとは、韓国の男性タレント2人が日本50年の歴史をほこる「のどじまん」に出演、鐘は一回だけというオチであまり面白くなかった。


2002.03.17(日)      オリンピック公園、ロッテワールド

一週間前に一緒に山登りにいったトクソンさんと、今日はオリンピック公園に行きました。

88年のソウルオリンピック開催を記念してつくられた公園で、平和の門をはじめ、野外彫刻公園やサイクリングの競技場、昔の人のお墓とか野原とかもたくさんあって、とにかく広い。自然が多くて、日ごろはせかせか歩いている人々もここではのんびり、野草を採ったりしている。

サイクリングの競技場では競輪をやっているが、競輪や競馬が韓国で始まったのはここ数年のことらしい。トクソンさんいわく「悪いことはみんな日本からやってきた」とのことで、彼は競馬も競輪も株式も大嫌いだそうだ。峠になっている散歩道の上から競輪場の中をみることができたが、静まりかえっている観客はあまり楽しくなさそうに見えた。みんな負けたんかいな。

最近は黄砂がひどくて、ソウルもかなりほこりっぽく、霧もないのに景色が霞んでみえる。オリンピック公園の風通しがよい所でも風が砂っぽい。屋上に洗濯物を干しっぱなして来たので心配だった。

オリンピック公園を後にしてトクソンさんの知り合いのお店でサムギョプサルを食べた。
それにしても知り合いの多いおじさんで、行く先々で必ず知り合いに会っているような気がする。すぐ人に声をかける癖のせいだろう。お店は今日は営業日ではないらしく、店の奥で家族の人々が花札をしているほかには誰もいない。チェッカーズがまだ久留米のヤンキーだった頃に利用してそうなアメリカンバーで、地下にあるお店だったが、日曜の午後4時からそんな店でサムギョプサルを食べるのは、やはり間違っているのでは?という疑問をよそに、相変わらずソジュを飲む。今日はナオコとジョンヒャンもいたのでトクソンさんもあまりペースを上げなかったが、それでもソジュを3本あけた。古きよきアメリカンロックが5曲くらいずっとローテーションでかかっていた。トクソンさんはいつもごちそうしてくれる。本当にありがとうございます。

店を出ると6時をまわっていたが、それからロッテワールドに行った。トクソンさんが知り合いにもらったという券があって、5人までタダで入れて、乗り物三つに乗ることができる。トクソンさん最高。

ロッテワールドに来たのは初めてだが、これは大したもので、地下鉄の駅から地下を通ってそのまま入ることができて、広い敷地が室内と屋外に分かれている。屋外の設備はディズニーランドみたいなお城をはじめ、大きくゆれたり回ったりひねったり滑ったり墜落したりする遊園地の乗り物がたくさんある(こころなしか日本のよりもちょっと過激な気がする)。室内の方もけっこう大きくて、吹き抜け3階だての遊園地になっていて、スケートリンクをはじめ乗り物も充実、民族博物館とかもある。ワールドカップをひかえて街のところどころで「Welcome to Korea」のロゴがめだつ今日このごろだが、ロッテワールドは外国人韓国客が多いのだろう、かなり「ようこそ韓国へ」が意識されているように感じた。最近のロッテワールドは、日本人よりも中国人観光客が多いらしい。

トクソンさん、ナオコ、ジョンヒャンとメリーゴーランドとモノレールに乗って、それから屋外の墜落型の乗り物に乗った。高さ130メートルの太い鉄塔を、外向きに備えつけられたシートに座ったまま上って、落ちるというやつで、並ぶのに1時間弱かかるのに、てっぺんから落ちるのはたぶん1秒もかからない。シートはドーナツ型にぐるりと備え付けられており、一回に50人くらいを運ぶことができるようになっていて、鉄塔を中心にくるくるまわりながら上っていくようになっている。ジョンヒャンは「絶対無理」、トクソンさんは「私には子供がいる」といって乗らなかったので、ナオコと挑戦した。生身の体でそこまで高いところにつるし上げられたのも、落下したのも初めてで、とくに上昇が止まって墜落に入るまでの間がチョー怖い。当然落下中はシャレにならん。目は閉じなかった。ナオコは半泣きだ。乗り終わったあと、携帯で誰かに電話する韓国人が多かった。

このあと、ちらっと民族博物館を見にいった。博物館というよりも、伝統料理の店とプレゼンテーションが一緒になっているようなところで、遅い時間で、開いていないブースもあったが、日本軍がいた頃のうどん屋や派出所の様子とかがロウ人形で再現されるなど日帝時代が結構大きくとりあげられていた。

家に帰ったら11時くらいだった。何だか毎週日曜はトクソンさんの日になりそうな気がする。


2002.03.16(土)      デジカルビ

土曜なので学校はない。昼食を、キリスト教サッカーサークル「ナビゲーターズ」の皆さんと一緒に食べた。今日までだ、といって、チュンホさんが昼食をおごってくれた。ありがとうございます。今日は胃にもたれなかった。だいぶ体が適応してきたらしい。今度チュンホさんの家に招待してくれるとのことで、うれしい。帰り道、インウさんという人と歩いていると、彼の友達のソンジュさんとたまたま会って、ソンジュさんの車で家まで送ってもらった。韓国は右側通行、左ハンドルで、車線の多い道では左折が大変そうだ。

勉強しようかとも思ったが昼寝して、起きてから大学のクラシックギターサークルの演奏会をナオコとジョンヒャンと見にいった。クラシックギターでもやってみようかと思っていたが、やめとくことにした。サークルをいろいろ見て回ろうとは思っているが、入るかどうかはわからない。韓国のサークルは入るためにオーディションを受けないといけないものもあるらしく、日本のサークルと少し雰囲気が違うようだ。

夕食はハルカも一緒に、テジカルビを食べた。下味がついた豚のカルビの焼肉。韓国では焼肉は、コチュという真っ赤な辛いタレとかテンジャン(味噌)とかをつけて、野菜類やキムチなどと一緒にレタスみたいな葉っぱに包んで食べる。テジカルビは韓国料理の中でかなりうまい方だと思う。肉に飢えているジョンヒャンも幸せそうでよかった。ジョンヒャンの日本の実家毎週1回は焼肉だったらしいが、今の下宿での食生活にあまり恵まれていないらしい。僕も来た当時は肉に飢えていたので気持ちはわかるような気がする。結構高い店だが、4人で肉5人前とご飯を食べて3万9千ウォン(4000円くらい)。

その後、3500ウォンで3時間"基本ドリンク"飲み放題の喫茶店みたいなとこにいった。ハルカと僕が頼んだお酒がなかなか出て来なくて興ざめだったが、相変わらずあほな話ばかりしていた。


2002.03.15(金)      クラブ

下宿の3階に住んでいる日本人の人が隣に引っ越すとのこというので、朝から手伝った。

3階は二部屋しかないのだが、もう一つの部屋に住んでいる人があまりにうるさいということで、隣りに越してきた。話によると、その隣りに住んでいる韓国人の社会人の人は、いい人ではあるのだが、毎晩宴会は当たり前、突然笑い出したり夜泣きしたりする被害者いわく「あんなん寝られるわけがないねん」と。手伝いをしたついでに、隣りの部屋にあったオッコリ(服をつるやつ)をもらった。

下宿で夕食をとった後、その隣りに越してきた人を誘って、ゲストハウスコリアの金曜日のパーティに行ってきた。8時に着いたのだが、7時から始まるはずのパーティーがまだ始まっていなかった。聞くと、もうすぐ「始めようかな・・」ということらしい。こういうことはよくあって、だいぶ慣れてきた。

パーティーのあと、僕が住んでいるシンチョンの隣りの駅にあるホンデのクラブにいった。Underground cafeという店で、飲み物を出すカウンターと客が座るためのテーブルがいくつかあって、あとは踊る場所がある。飲み物はビール300円が一番安くて、これは韓国でもかなり安い方だと思う(飲み物は日本と変わらないぐらいの値段か、日本よりも高いことが多い)。店にあるテーブルの半分くらいはゲストハウスの皆(20人くらいの多国籍団体)で埋まってしまった。韓国の人はDDR(ゲームセンターのダンスダンスレボリューション)はバカうま、パラパラもかなり流行、というだけに踊るのも好きなようだ。

で、踊るわけだが、かなり盛り上がってた。日本ではクラブにしょっちゅう行くほどでもなかったが、クラブであそこまで盛り上がっているのを見たのは初めてだと思う。自分もよく覚えてないけど、持ち上げられてぐるぐる回されたような気がする。二週間前くらいに日記に書いたスンフンさんはいつもにまして妙な動きを見せてくれて最高だった。

疲れて、テーブルで女の子と話をしていたら、韓国人の男がやってきて、僕の耳元で、「今ナンパしてるのか?オレは○○(その子の名前)に興味があるんだ。ナンパするのはやめろ」と囁いてきた。そんなことしねえよ、たぶん。と思って、ナンパじゃない、心配するな、といったら去っていった。そういうビバリーヒルズ青春白書みたいなせりふを自分に投げつけられたのは初めてで、しかも言った本人はそんなことを言いそうにない感じの奴だし、なんだか楽しい気分。

タクシーでシンチョンまで帰ってきて、銭湯に行って帰ったら4時くらいだった。

※昨日書いたホワイトデーのプレゼントですが、高いやつは15万ウォン(1万5千円)くらいするらしい。


2002.03.14(火)      ホワイトデー

韓国のホワイトデー。かなり盛り上がっています。

日ごろは閑散としているお菓子、ケーキ屋さんには男たちがひしめき、なぜか手持ちぶさたそうにプレゼントを物色しています。で、そういったお店とか道端の露天とかで何を売っているかというと、カゴとリボンと花とキャンディが一体化したやつ、としか説明のしようがない。バスケットにキャンディをつめこんで、そこに花とチュッパチャップスをさしこんで、さらにそのバスケットが見えなくなるくらいリボンを巻きつけると、たぶん完成する。大きいやつから小さいやつまでいろいろあって、よりどりみどりです。大きいやつは3万ウォン(3000円)くらいするらしい。

軍隊も今日は休暇をもらえる部隊もあるらしく、「部隊内、誰の彼女が一番かわいいかコンテスト」で優勝した人が休暇をもらえたりとか、待ちに待った一大イベントなのです(とコイチがいっていた。)。

街の人たちがみんなプレゼントをもって歩いているのはすてきな光景だ。


2002.03.13(水)      日本語教師のバイト

朝、ジョンヒャンといっしょに、ネット契約したハナロトンシンにヘッドセットをもらいにいった。ヘッドセットをただでくれるはずだったのに、2人とももらっていなかった。事務所に着くと、住んでいるところをかなり大まかに聞かれただけで、あっけなくもらうことができた。

僕もジョンヒャンもチャンチョンドンというところに住んでいるのだが、これは神戸でいうと横尾、福岡でいうと地行みたいなもんで、チャンチョンドン、ていうだけでもらうことができた。もっといろいろ調べられるかと思ったが、名前すら聞かれなかった。

 ハルカと中華のうまい店で昼飯をくったあと、授業にでて、そのあと、ハルカとナオコと3人で近所の公園にいって、ギターを弾いて遊んだ。ハルカは相変わらずオアシスを歌いまくっている。ナオコはマジ寝している。僕は女子高生にもひるまずに歌っていたが、彼女達はすぐ帰ってしまった。ギターを弾きながら歌う練習をしようと思う。

夕方から、ノトハラさんがやっている日本語教室のバイト先を紹介してもらうことになっていた。教室の生徒さんの韓国人の皆さんもいっしょに夕食を食べてから行こう、ということになったのだが、店が昼間行ったのと同じ中華料理屋だった。うまいからええんやけど。

6人いたが不安になるほど大量に注文して、案の定全部食べられなかった。僕は、昼間ハルカが食べていた裏メニューのサムソンポックンパ(海鮮チャーハンみたいなのにジャジャンというタレをかけてたべるやつ)を頼んでみた。おごってくれたウニョンさん、ありがとうございます。

日本語教室は「友達」という交流サークルの活動の一環で、ノトハラさんが担当しているクラスは王初(ワンジョ)といって、7つか8つある日本語のクラスのうち、レベル的には上から3番目にあたるらしい。水曜日の7時半からの2時間のクラスで、ノトハラさんが4月に日本に帰るので、その後を僕が引き継がせてもらうことになった。授業中は基本的に日本語だけだが、韓国人と知り合うことができるし、授業の後には毎回飲み会があってその時はみんな韓国語でしゃべる。楽しそうなかんじだ。

で、教室が終わったあと、ジョンノの方に飲みにいった。「友達」のOBの人で、今北海道大学の獣医学部に留学している人が帰ってきて飲み会をやっているとのことで、それに参加させてもらった。

飲み会が終わって、バスでシンチョンに帰ると0時前くらいだったが、日本から友達がきているらしく、延大にいるコイチとまだシンチョンにいるらしいので、ちょっとだけ会った。当然だがあまり変わってない。うちの部屋にきて、主に男と女と超能力者についての話をしているうちに1時半くらいになって、友達もタクシーで帰っていった。

いろいろあって疲れた一日だった。


2002.03.12(火)      モンゴルの人々の名前

メディア日本語の授業で、鉄腕アトムの第1話をみた。アトムがお茶の水博士に引き取られるまでに、こんな悲しいいきさつがあったとは思わなかった。手塚治虫アニメ的な小ワザギャグ(怒ったお茶の水博士の鼻が黒白に点滅するとか)は韓国の学生にも通じるらしく、みんなくすくす笑っていた。

学校が終わってから、僕と同じ大学からソウル大学に交換留学で来ている人と会った。モンゴル自治区出身の人で、日本に留学して、さらに韓国に留学している。僕はモンゴルには少し思い入れがあって、モンゴル人は羊の体をあますところなく活用する、という話とかをしていた。

モンゴルには、姓(名字)が無いらしい。名(下の名前)ですべて事足りるらしく、たとえばあそこの一家の羊はいい毛並みをしてる、というように一家をひとまとまりで呼ばないといけないようなときは、一家の父親の名前を使うらしい。戸籍上、姓をつけたいときは父親の名前を姓として登録してもいいらしいが、下の名前だけで戸籍登録されていることが多くて、そのために外国で生活しているモンゴル籍の人は、何かの手続きで姓と名を分けて書く必要があるとき非常に不便するそうだ。

姓がない、ということに表れているように、モンゴルでは家単位でのつながりがそれほど強く重んじられることがない。このことが遊牧民族であることとどのような関係にあるのかはわからないが、この点は韓国とまったく違っていて、韓国では家単位(というより血縁単位)のつながりが非常に重要視されている。

韓国で同じ姓で同じ故郷(本願という)の出身(同姓同本)であれば、それだけで兄弟みたいなもの、というような感覚があると以前きいたことがある(今の若い人はどうなのかしらないが)。チェサといって、同姓同本が集まる一大集会みたいなのもあって、なになに州なになに氏の第何回チェサの記念タオルとかもあるらしい。おそるべし。


2002.03.11(月)      漫画を買う

テレビを引き取るナオコにひょこひょこ着いてってたら、なぜか教会に辿りついた。

ビルの一室にあって、緑茶をごちそうになった。韓国の教会の中に入るのは初めてで、なんというかリラックスできる雰囲気があった(いっしょに行ったおにいさんは神父さんの革ジャンを奪おうとしていたが)。

テレビを運んだあと、シンチョンに帰って、辞書とマンガを買った。これまではメトロという携帯用サイズの韓日・日韓辞典しか持っていなかったが、やっとまともな韓日辞書を手に入れることができた。形から勉強に入れそうだ。マンガは「オ!ハッピーサンタ」という韓国の漫画家が書いたもので、ちらっと見たところでは吉田戦車をちょっとダークにしたようなかんじだった。漫画コーナーの少なくとも半分は日本の漫画で埋まっていてる。

もっとも漫画自体の地位はまだあまり認められていないのか、その小さめのビルの地下1階から地上四階までが本屋になっている店では、漫画コーナー自体は本棚一つ分しかなかった。もっと大きい本屋に行ってみないとわからない。


2002.03.10(日)      山登り

トクソンさんという、2日前に一緒に飲んだおじさんと、2人で山登りに行きました。

昼の一時にチャムシル(僕が住んでいるシンチョンから地下鉄で40分くらいかかるところ)に呼び出されて、そこからバスを2回乗り継いで、南漢山城(ナマンサンソン)に着く。韓国の三国時代(百済、新羅、高句麗)の時代から天然要塞として重要とされていた山城で、実は夏に一度来たことがあり、もう二度と来ることもないだろうと思っていたが、記憶も新しい半年後の今、またやって来てしまった。

山の上からふもとに下りる道はトクソンさんがよく知っているコースらしく、登山者も多い。

途中の岩場の休憩所では、飲み食いもできるようになっていて、キムチとマッコリ(ソーダみたいなかんじのにごり酒)で休憩した。

たまたま僕の横に座っていたチュさんという中年のおじさんが、トクソンさんの友達の友達であるということがわかって、お連れさんの中年の女性もいれて、何だかわからないが僕はそのヨンオさんという女性と手をつないで、4人で山を降りた。山道の途中に豆腐がうまい店がある、と言って、そこでまたマッコリを飲む。

僕はこないださんざん酔っ払ったので、酒は控えていたが、ヨンオさんが僕にやたら豆腐を食べさせようとするので、満腹になってしまった。さらにもう1軒別の店にいって、今度はスンデ(腸のつめものみたいなやつ)を食べながらまたマッコリで一杯。トクソンさんとチュさんは初対面なのに意気投合しているし、出来あがったチュさんに「うちの娘はかわいくてスタイル抜群だ。紹介してやるからタツロウも女性から韓国文化を学べ。女性はいっぱいいるが、決めるのは自分だ。人生はわからない、おじさんは悪い人じゃないよ」と説教されるし、ヨンオさんとチュさんは愛人関係らしいし、おまけにチュさんの帽子の下は大変なことになっているということがわかって、結構な飲み会になってしまった。

マッコリ一本が750mlのペットボトルに入っていて、アルコール6パーセントとそれほど強いお酒ではないが、この一本で終わりか、と思うとまた次を注文する、というのが続いて、その店だけで5本飲んでいた。

結局9時前くらいまでその店にいて、チュさんとヨンオさんと別れて、バスでチャムシル駅に着くと9時半くらいになってしまった。べろんべろんになっているトクソンさんはバスの中で体を思いっきり預けてきて寝ているし、大変だった。僕の帰路を心配してくていたが、むしろトクソンさんが帰れるのかが心配で、歩いて帰るのをしばらく後をつけたほどだった。


2002.03.09(土)      「かけはし」

病み上がりの二日酔いで気分が悪い。朝から、「実務日本語」の授業で会った韓国人の人にサッカーに誘われていたが、つい寝ていたら電話で起こされた。で、学校のグラウンドへ。グラウンドにはサークルの部室みたいなのがついていて、サッカーを見ながら、音楽サークルの部屋の前のベンチに座っていた。学生バンドが(たしかリーリトナーの)リオ・ファンクという曲を妙に重いリズムでやっていた。たぶんドラマーが悪い。

僕をサッカーに誘ってくれたチュンホさんという人はけっこう上手くて、チーム「The Navigators」の中心的役割を果たしているようにみえた。僕はもともと球技は苦手な上に、二日酔いの体で醜態をさらすこともないだろうと思って、見学だけしていた。

「ナビゲーターズ」は2対0で他のサッカーサークルのチームに勝利していた(うち1点は相手チームの自殺点だった)。終わった後、チュンホさんはチームのみんなに紹介してくれて、学食で昼飯をおごってくれた。飯の上に韓国版マーボ豆腐がみたいなのが乗っているやつを食べたが、これがかなり胃にもたれてしまった。

早く強い体にならなくては。昼から家でダラダラ。妙に疲れがたまっている。

夕食後は下宿の知り合いと風呂屋に行ったあと、「かけはし」という韓日交流喫茶みたいなところに行ってみた。近所に住んでいる交換学生の友達もやってきて(というか彼女に道をきいたんだけど)、「かけはし」でお茶した。日本人の店員さんがいて、日本のテレビが放送され、日本の漫画が置いてある。韓国の中に日本がつくられている、といった感じだ。

日本に興味をもっている韓国人のための場所で、毎週きまった日にパーティがあるらしく、顔を出していれば知り合いは増えそうな気がするが、いまいち雰囲気がつかめない。日本に興味をもっている韓国人、といってもいろんな人がいて、就職などのために日本語を勉強したい、という人から、日韓の問題について日本人と話し合いたい(あるいは議論したい)、という人、日本の映画や音楽、漫画などに興味をもっている人、ただ日本人と仲良くなりたいという人まで、人によってさまざまだ。どんな人々が集まっているのかがどうもつかめない。まあいろんな人がいるんだろうけど、とりあえず今度の木曜のパーティに来てみようとは思う。来てみなければわからない。僕は夏に一度、この店に来たことがあるが、そのときはなぜか西欧系の人々がコンパをやっていた。わからん。


2002.03.08(火)      韓国のおじさんと飲むべからず

午後2時から1時間くらいの授業が終わったあと、家の近所のシンチョンのまわりで1人歩きした。

洗剤とかハンガーとか、生活くさい買い物をして、シンナラレコードという大手のレコード屋にいった。夏に来たときはタワーレコードだったが、タワレコは韓国から撤退したらしい。

韓国の人々はシーケンサーが大好きで、演歌にもテクノみたいなリズムが入っている。いろいろ聴いてみたい。

夕方からテハンノというところに行ってまたサムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉)をごちそうになった。つれていってくれたトクソンさんというおじさんの知り合いの店で、ワインと何かに24時間つけこんだ肉を、店の社長がじきじきに焼いてくれた。この調理方法で特許をとったらしく、読売新聞にとりあげられたときの記事も見せてくれた。1週間のうちで4回もサムギョプサルを食べているが、ここの店のはめちゃくちゃうまい。

で、もちろんサムギョプサル「ベストマッチする」という飲み物ソジュ(焼酎)が登場して、今日はおじさん方にがんがんすすめられて大変なことになってしまった。

韓国のソジュは日本の焼酎よりもすこし弱いため、ストレートでどんどん飲むが、親しみの意を表すために自分の盃と相手の盃を交換することが多く、そのたびごとに自分の盃を空にしないといけない。しかも自分の盃が空になったことを示すために、飲み終わった後頭の上で盃をひっくりかえすため、ごまかしもきかない。

帰りはバスで逆方向に行ったり、とあんまりよく覚えてない。


2002.03.07(木)      カラオケにいく

朝、ホームページのURLをhttp://tatsuroom.tripod.co.jp/ に変更。やっと更新。

学校ではメディア日本語という授業を受けてみた(初級日本語はつかれるので)。「アトムの悲しみ」という手塚治虫の文章を読んだ。来週はアニメのビデオをみるらしい。おもしろそうだ。日本で受けてた英語の授業とかよりだんぜんおもしろいしレベルも高い(日本では僕はかなりクラスの足をひっぱってた方だが)。この授業で夏に知り合った友達のヒギョンとばったり再会。

夜はヤンさんという、関西弁をあやつる韓国人の人とあった。

以前にKBCの番組にニセモノ関西人として出演していたこともあるらしい。関西弁はかなり達者でなつかしくなってしまったほどだった。彼の会社の同僚で彼がやってる日本語教室の教え子でもあるファヨンさんと、僕らと同じ交換留学で延世大学に来ている知り合いもやってきて、サムギョプサルとソジュで一杯やった。

その後マクドでソフトクリームを食って、ノレバン(歌部屋、韓国のカラオケ)に行った。

僕は韓国の歌はあまり知らんが、イムジン川だけはいろいろあってよく知っていたので、探してみた。が見当たらなかった。で、結局松山千春の恋とか、ファヨンさんのリクエストでSAY YESとかナオコのリクエストでとか歌った。韓国の歌をおぼえようと思う。

ヤンさんは日本語の歌もよく知ってて、ロードとか乾杯とか歌っていた。

で、終電で帰ってきた。


2002.03.06(水)      銭湯にいく

病を克服するために学校を休んで、風呂に行きました。下宿で知り合ったひとに連れてってもらいました。

3500ウォン、サウナつき。風呂の水は時間帯(午後3時すぎ)のせい(?)かおそろしく汚くて、サウナはおそろしく熱い。韓国の風呂屋は脱衣所で散髪ができるようになっている。休憩室で裸で寝ることもできる(この日行った風呂屋はなかったが、前に韓国の風呂屋の休憩室をのぞいたときは、暗い細長い部屋で10数人のおっさんが裸でタオルにくるまってゴロゴロしていた。圧巻だった)。垢すり台はもちろん設置してあるし、場所によってはガソリンスタンドの洗車のやつみたいな全自動垢すり機もあるらしい。おそろしい。

家に帰って寝てたら、夕食を食い損なった。近所の遅くまで開いてる売店に行ったがろくなもん売ってなかったので、部屋でヨーグルトとみかんとおかきを食べてしのいだ。

ハルカとチャットでHPの移転についてトークする。


2002.03.05(火)      ネット開通

昼過ぎからの学校が終わった後、インターネットの工事の人が来ないので、契約した

ハナロトンシンに電話した。根性で意志疎通したが、雨がふっているのでちょっと大変だから明日、とか言われたが、結局夕方ごろやってきた。設定とかに手間取って2時間くらいかかったが、なんとかケーブル回線で常時接続できるようになった。

ハスクの屋上のケーブルを窓から引っ張ってきたわけだが、屋上のケーブルはほんとにケーブルってかんじで、何十本ものケーブルを適当にたばねて、屋上の手すりに沿わせて適当にくくりつけてあった。最初はカラスよけかと思ったくらいだ。

工事の人が帰ってから、待たせていたワクさんを迎えにいく。すぐにノトハラさんとナオコも合流してサムギョプサルを食べてソジュを飲んだ。僕は腹痛のため、ムルネンミョンを食べてた。

病弱也。何日か前の日記でサムギョプサルは3段バラだと書いたが、直訳では3枚肉らしい。脂肪と肉とが別れていて、切ったときにそれが3つの筋になっている。たしかに3段バラってなんだ?3段アゴみたいなもんかのう。

ノトハラさんには今日もごちそうになってしまった。日本でお礼をしよう。

いろいろおもしろかった。風邪が治らん。


2002.03.04(火)      サナギとバッティングセンター

今日から学校。といっても僕は3月は昼からだが。語学堂は4月の春学期からなのでまだだが、「実務日本語」と「初級日本語」という韓国の日本語教育のクラスを聴いてみようと思っている。ちゃんと行くかはわからない。単位をとることは考えていない。

夜、日本にいたときの先輩のワクさんがやってきた。僕がこっち来てからやっと1週間。来るの早ええよ。でも思いついたときに行動できたのはすばらしい。

ソウル駅からチョンガクまで行って、ワクさんの友達で1年前から留学している人とその彼女さんのギョンアンさんと合流した。マッコリ(にごり酒みたいなやつ)を飲んで、ポンテキ(韓国の道端の屋台で売って虫のサナギを煮込んだやつ)を食って、バッティングセンターに行った。僕はこれまでポンテキを食べたことがなくて、たまに道にただよっているにおいを嗅いでは「これはちょっと受けつけんな」と思っていた。

だから「じゃあ次はポンテキ食いに行くか!」という話になった時点で、風邪なんで、と帰ろうとも思ったが、自分から食おうと思うこともないだろうということで、病を押して挑戦してみた。

うーん栄養はありそう。味はしょうゆ系か。歯ごたえは雑巾みたいなかんじ(雑巾食ったことはないが)。ワクさんは「おれはけっこういけるよ」とかいいながらまで飲んでいた。男3人で小サイズの紙コップ一杯分を食べていたが、ワクさんは完食。ノトハラさんと僕は少しずつしか食べなかった。

ギョンアンさんはその時は食べなかったが、韓国では女性も好きな人はよく食べるらしい。ともあれ飲みから虫からバッティングまでおごってくれたノトハラさんに感謝。

ワクさんはノトハラさんちに泊まった。うちはベッドで余分な布団がないし、ハスクのアジュンマ(おばちゃん)と契約したときに人は泊めないで、と言われてしまったので、渡韓後1週間というアウトかセーフかのコースの区別もつかんイニングではちょっと難しい。


2002.03.03(日)      風邪

冷蔵庫の本当の持ち主の人と会って、ソルロンタンを食べた。

その人はもう3年も韓国で暮らしているひとで、学生だが最近韓国で就職してしまって大変らしい。よく韓国の事情を知っている人で、近くの風呂屋の場所とかいろいろ教えてもらった。

2日の夜から体がだるい。暑い。オンドルと冷蔵庫の熱のせいかと思っていたが、どうやら自分が熱を出しているらしい。関節が痛い。病弱也。熱に効くような強めの風邪薬はもってきてなかったが、ハスクの知り合いの人にもらうことができた。感謝。

ひたすら寝る。寝る以外なにもしない。


2002.03.02(土)      肉

朝、人づてで冷蔵庫をもらった。小さいやつ。ありがたい。

11時に大学の正門前にハルカ達と集合して、
大学のチョンフン銀行で口座をつくって、
ヨンサンでRANカードを買って、
ハルカ達をまきこんで昼間っからサムギョプサル(豚の三段バラの焼肉でかなり油っこい)を食って、
新村のハナロトンシンでインターネットのケーブル回線の契約をした。
ハルカガイド最高。

それにしてもやっと食肉することができた。もはや悲願だったが、達成した。

で、かなり疲れて帰った。


2002.03.01(金)      ゲストハウスコリア、Xファイル

夏にしばらく滞在していたチョンノ3ガの「ゲストハウスコリア」に遊びに行った。
ひさしぶりに知り合いに会って、そのまま夜の飲み会まで残った。

飲み会で知り合った韓国人のスンフンさんと友達になった。彼は韓国人のコメディアンのユジェソという人に顔がよく似ている。インターネットで見るとたしかに似ていた。ユジェソは別名「(虫の)バッタ」で有名らしい(まあそういうのはよくある話)。インターネットでバッタで検索するとユジェソが出てくるくらいだ。だからスンフンさんもやせぎすでバッタみたいなかんじだ。さらにスンフンさんは南こうせつにもクリソツだということともあり、そのうえ僕が彼と似ている、という話もあったりして、もはやわけがわからない。革ジャンにパジャマの下みたいなのを履いていて、行動も奇妙なので、かなり気に入ってしまった。

11時ごろ家に帰ってテレビをつけると、X-ファイルの韓国語吹き替え版をやっていた。

恋愛ドラマは何となく常識の範囲内なので筋がわからんでもないが、X-ファイルはまじでわからん。なんせFBIですら捜査続行不可能と判断した事件を扱っているのだから、筋を読むにしても常識の範囲を出ないといけない。想像が先走る。

とりあえず、モルダーが行方不明で、スカリーが不安で、変死体でUFOで、実はモルダーは瀕死で、おまけに次回へ続くのかよ、てことしかわからなかった。

その次の番組でも日本語で話すサムライがソウルの町にタイムスリップする、というよくわからん映画をやっていた。

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