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所感1 さりげなさについて 03/12/01


先月、トルコ三大文明展にいってきました。
オスマン帝国時代はギンギラギンでした。
ダイヤにサファイヤにルビーにトルコ石、てんこもり。

例えば、さりげない中国の陶器に、オスマン風に金や宝石で
キラキラにした足とか蓋を後付けした作品も残ってるんですね。
うわーさりげなさ台無し。
でもおもしろい。ドキドキしました。


美意識の違いというのはあなどれないものです。
オスマンの金持ちにとってはダイヤ30個なんて普通、
10個なんて楚々としたものだったのかも。
さりげなさが美しいとも限らない。
あなたは何を美しいとして生きていきますか。


ところでさりげないといえば、マッチこと近藤真彦の歌で、
ギンギラギンにさりげなく、というのがありました。

僕はマッチの歌もあまりさりげなくないと思うんですね。
こんな歌です。


 Dm    Em
♪連れて行くどこまでも
 Dm  Em
♪孤独 出逢い 燃えて行け
 E7
♪Hold on おまえを…
 Am      Dm          E7 Am
♪ギンギラギンにさりげなく ふたりの恋のやり方
 Am      Dm          E7  Am
♪ギンギラギンにさりげなく さりげなく生きるだけさ


もはやコード進行からして熱い。暑い。中期の長渕剛みたい。
オスマンじゃこのくらいはさりげなかったかもしれませんが、
どこがやねん
と思ってしまうのです。


どんなのなら、きっちりさりげないのでしょう?
おれについて来い、ていうのは違う気がします。


『いこうや』

ぼそっというといいですね。


『いっしょに行けたらいいなと思ってるんだけど』

なんか違うかも


『来てくれたら、ま、嬉しいかな僕は。
 いや、ええんよ、別に気にせんで。
 ま、嬉しいかなってことで。ほんまに。』

とりあえず美しくはないですね。




とりとめないです。
結局さりげなさとは何なのか。
意図されたさりげなさ、というのは、ギンギラギンよりもやらしい気がします。
わからなくなってきました。
今日のところは失礼します。


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